水素の運搬方法を初心者向けにやさしく解説

はじめに

水素はクリーンエネルギーの担い手として注目されていますが、その運び方についてはあまり知られていません。実は水素は地球上で一番軽いガスで、0℃・1気圧では1立方メートルあたりわずか約90グラムしかありません​。空気なら同じ体積で約1,293グラムもあるので、水素がいかに軽く密度が低いかわかります。このため、作った水素をそのまま運ぼうとすると、ものすごく大きなタンクや容器が必要になり、とても非効率です​。水素エネルギーを活用するには、「いかに水素を小さな体積に収めて運ぶか」が重要なポイントになります​。そこで本記事では、水素を効率よく運ぶためにどのような方法があるのか、初心者向けにやさしく紹介します。それぞれの方法のメリット・デメリット、そして現在の課題と今後の展望についても見ていきましょう。

水素の運び方

圧縮水素ガスで運ぶ方法(高圧ガス輸送)

水素を運ぶ最も基本的な方法の一つが、水素ガスそのものをボンベやタンクに高い圧力で圧縮して詰める方法です​。身近な例では、工場から水素ステーションへ水素を届けるタンクローリー車があります。車の荷台にずらりと並んだ円筒形のボンベ(チューブ)に高圧の水素を充填し、トラックで運搬します​。このように高圧ガス容器を束ねたトレーラーは「チューブトレーラー」と呼ばれ、燃料電池車向けの水素供給などに使われています。

高圧水素ガスを運ぶチューブトレーラーの例。長い円筒形のタンクに水素を詰め、トラックで輸送します。圧力は数百気圧にもなり、水素を数百倍に圧縮してあります。

メリット

仕組みが比較的シンプルで水素をそのままの形で運べる点です。気体のままなので、目的地に着いてからそのまま水素として利用できる手軽さがあります​。また、圧縮にはエネルギーが必要ですが、液化(水にすること)ほど大きなエネルギー損失はありません​。例えば約20MPa(メガパスカル、約200気圧)の圧力まで圧縮すれば、体積は常圧の約1/200にまで小さくできるので効率が上がります​。水素ステーションでは70MPa(約700気圧)にまで圧縮して車両に充填しますが、高圧ガスの技術自体は産業ガス分野で確立されたものが使われています。

デメリット

運べる水素の量に限界があることです。高圧にしても気体である以上、液体にする場合ほどは密度を上げられません。大型トレーラー1台で運べる水素はせいぜい数百キログラム程度​で、同じエネルギーを運ぶにはガソリンや軽油のタンクローリーに比べて何往復もする必要があります。圧力容器自体の重量も重く、水素よりタンクの方が重量の大半を占めてしまいます。また高圧ガスなので取り扱いに注意が必要です。タンクや配管には水素脆化(水素が金属をもろくする現象)に強い特殊な材料を使わなければならず、コスト高になる課題があります​。実際、普通の鉄では高圧水素にさらすと割れてしまうため、ステンレス鋼やアルミ合金などが用いられ、安価で安全な新素材の開発が進められています​。さらに高圧であるほど万一漏れたときに広がりやすいので、厳重な安全管理が求められます。

高圧ガスでの輸送は主に短距離向けです​。工場と利用地が比較的近い場合にはタンクローリーで運ぶのが経済的ですが、遠距離になると効率が悪くなります​。地上ではもう一つ、パイプラインで送る方法もあります。都市ガスのように、水素専用のパイプライン網を敷設すれば大量の水素ガスを連続的に送り届けることができます​。パイプライン輸送は一度に運べる量が非常に多いメリットがありますが、新たに配管を設置するコストが莫大で、一般に数百~1000km程度までの距離でないと経済的に見合わないと言われます​。そのため、海を越えるような長距離では別の方法で水素を運ぶことが必要になります。

液化水素で運ぶ方法(超低温で液体にする)

水素を大量に遠くまで運ぶもう一つの方法が、水素を**液体(液化水素)**にして運ぶ方法です。水素は~-253℃という極低温まで冷やすと液体になります。私たちの身近な物質で言えば、空気を-196℃まで冷やすと液体空気になることがありますが、水素はそれよりさらに50℃ほど低い温度が必要で、自然界では液体で存在しない超低温の世界です。特別な冷凍機で水素ガスを徐々に冷却し、~-253℃で液体にします。この液化水素は透明で無色の液体で、とても軽く、1リットルあたり約71グラム程度の水素を含みます。気体のままでは1リットル中に0.09グラムしかないので、液化すると体積がおよそ1/800に圧縮され、大量の水素をコンパクトに貯められるのです​。

液化水素を運搬する専用タンクローリー車やコンテナの例。断熱性の高い真空二重構造のタンクで、~-253℃の液体水素を約2万~4万リットル規模で輸送します。

メリット

液化水素で運ぶ方法の最大のメリットは、密度の高さです。先ほど述べたように体積あたりの水素量は圧縮ガスより桁違いに多く、同じ容積のタンクでも圧縮ガスよりずっとたくさんの水素を積むことができます​。そのため、大量の水素を長距離輸送する場合に有利です。実際、液化水素はロケット燃料として古くから使われており、宇宙基地などでは大型の液化水素タンクローリーで輸送されています。また近年では海上輸送にも液化水素が使われ始めました。例えば川崎重工が建造した世界初の液体水素運搬船「すいそふろんてぃあ(Suiso Frontier)」は、2022年にオーストラリアから日本へ液体水素の初輸送に成功しました​。この船は-253℃に冷やした液体水素を積み込み、2週間ほどかけて航海し、神戸に無事届けました​。液体水素は気体の水素に比べ非常に密度が高いので、こうした専用船によって国際的に大量輸送することも現実になりつつあります。

デメリット

液化水素にはいくつかのデメリットや課題もあります。まず液化するためのエネルギーコストが大きいことです。水素を-253℃まで冷やすには大がかりな冷凍設備が必要で、その過程で水素自体のエネルギーの3割以上を使ってしまうと言われます​。これは、せっかく作った水素のエネルギーのかなりの部分を冷やすことに消費してしまうことを意味し、経済性の課題となります。また、断熱を施していても輸送中に少しずつ**蒸発(ボイルオフ)**してしまう点もデメリットです​。長時間かけて運ぶとタンク内の圧力が上がってしまうため、適宜ガスを抜いて安全を保つ必要があります(抜いた水素ガスは発電などに利用されることもあります)。さらに、液体水素は取扱いが難しく、極低温のため機器や配管の材質選びに注意が必要です。接触すると物を脆くしたり人が凍傷になる恐れもあるので、真空断熱の容器や特別なポンプ・バルブ類が用いられます。それでも、技術的には液体酸素や液化天然ガス(LNG)など既存の超低温物流のノウハウが活かせる部分も多く、今後の技術開発や規模拡大によってエネルギー損失やコストを削減できる可能性があります​。大規模な設備投資が必要ですが、一度に大量輸送できる液化水素は将来の水素サプライチェーンを支える有力な方法です。

水素の運搬

水素キャリアを使う方法(他の物質に変えて運ぶ)

高圧ガスや液体水素で運ぶ以外に、水素そのものを別の物質に一旦変えて運ぶというアプローチも取られています。これらは一般に「水素キャリア」と呼ばれ、水素を化学的に他の物質に閉じ込めて運び、必要なときにまた水素を取り出せるようにしたものです​。なぜこんなことをするかというと、水素単体では扱いにくい性質があるためです。例えば前述のように常温の水素ガスは非常に密度が低く、液化には極低温が必要でした。ところが、別の物質に変えてしまえば、常温常圧で液体として運べたり、より高密度で水素を貯められたりする場合があります​​。水素キャリアにはいくつか種類がありますが、代表的なものとして有機ハイドライド(液体有機化合物に水素を貯蔵)とアンモニアがあります。それぞれ具体的に見てみましょう。

有機ハイドライド(水素を有機物に付加する)

これは、トルエンなどの有機化合物に水素を化学反応で付加し、水素を含んだ別の物質に変えて運ぶ方法です​​。例えばトルエン(C₇H₈)という液体に高圧下で水素を反応させると、メチルシクロヘキサン(MCH, C₇H₁₄)という液体が生成します​。このMCHはトルエンに水素を付け加えたものなので、水素を運ぶ媒体(キャリア)になります。MCHは常温常圧で安定な液体で、ガソリンに近い性質を持ちます​。そのため、既存の石油用のタンクやタンクローリーがそのまま使えるという大きな利点があります​。特殊な高圧ボンベや極低温タンクを必要とせず、常温のドラム缶やタンクに入れて運べるのです​。しかも、水素をMCHに変えると体積がグッと小さくなり、水素ガスの約1/500の容積に圧縮して運ぶことが可能です​。液化水素でも1/800程度なので、容積効率の面では液化水素ほどではないものの、かなり小さくできます​。運ぶ先では、このMCHから再び水素を取り出し(脱水素反応といいます)、元のトルエンが回収されます​。トルエンはまた回収して再利用できるため、キャリアを循環させながら水素を運べるわけです。

有機ハイドライド法のメリットは、前述のように取り扱いが容易なことです。常温の液体なので、専用設備が少なくて済み、安全面でも高圧ガスや極低温液体に比べて扱いやすいです。引火性はありますがガソリン程度で、漏れても水素ガスのようにすぐ拡散したりはしません。また、既存のオイルタンカーやタンクローリーなど石油インフラを活用できるのも強みです​。一方でデメリットとしては、水素の出し入れにエネルギーが必要なことが挙げられます。トルエンからMCHに水素を付け込む(水素化)際にもエネルギーが要りますし、逆にMCHから水素を取り出す(脱水素)には触媒と熱エネルギーが必要です​。特に脱水素反応には200℃以上の熱や触媒が必要で、水素を使う直前にそうした処理をしなければなりません。このため、水素を取り出す設備が必要になる点や、反応に伴うエネルギーロスが課題です。それでも、有機ハイドライドは繰り返し使えるキャリアであり、将来的に大規模な水素輸送網の一部として期待されています​。

アンモニア(NH₃)

アンモニアも有力な水素キャリアの一つです​。アンモニアは窒素と水素からなる化合物で、1分子に3つの水素原子を含んでいます(NH₃)。液体アンモニアは常温では気体ですが、圧力をかけると比較的容易に液体にでき、-33℃程度まで冷やすか約10気圧程度加圧すれば液体で保存できます。アンモニアは昔から肥料や工業原料として大量に生産・流通しており、その貯蔵タンクや運搬船などのインフラが世界中に整っています​。実はこのアンモニア、体積あたりに見ると液化水素以上にたくさんの水素を含むことができます。具体的には、液体アンモニア中の水素密度(1リットルあたりの水素量)は液体水素の約1.5~1.7倍にもなります​。先ほど液体水素1リットルに71gの水素と言いましたが、液体アンモニア1リットルにはその約1.5倍、100g超の水素が含まれる計算です。これは有機ハイドライドMCHと比べると2.5倍ほどにもなり​、水素キャリアの中でも非常に効率よく水素を運べる物質といえます。さらに前述のように、アンモニアは大量輸送の経験値が高く、大型タンカーや貯蔵設備が既に使われています。大規模かつ安価に運びやすいという利点から、アンモニアは将来の国際水素サプライチェーンで重要な役割を果たすと期待されています​。

アンモニアのデメリットや課題も押さえておきましょう。まず、アンモニア自体は有毒で刺激臭が強い物質です。日常でも家庭用洗剤などに含まれることがありますが、高濃度のアンモニアガスは人体に有害で、扱いには注意が必要です​​ui.adsabs.harvard.edu。もっとも、アンモニアはその独特のニオイですぐ漏洩に気づけることや、すでに化学業界で安全管理のノウハウが確立されている面もあります。またアンモニアは引火性もありますが、水素に比べ発火点が高く着火しづらい性質です。ただし最大の課題は、アンモニアから水素を取り出すプロセスでしょう。アンモニア分解(クラッキング)反応には触媒と約700℃近い高温が必要で​、エネルギーを使ううえ装置も大型化します。現在、より低温で分解できる新しい触媒や効率的なプロセスが研究開発されています​。さらに、アンモニアをエネルギー利用する際には水素に戻さずアンモニアのまま燃料にする可能性も模索されています。例えば発電所でアンモニアを石炭と混ぜて燃やしたり(混焼発電)、燃料電池に直接アンモニアを供給する研究も行われています​。こうした技術が実用化すれば、水素に再変換する手間を省いて水素エネルギーを利用できるようになるかもしれません。

以上のように、水素キャリアを使う方法は一度に大量の水素を遠くまで運ぶための有力な選択肢です。現在有望視されているMCHやアンモニアのほかにも、さまざまなキャリア案が検討されています。例えば、水素とCO₂から合成したメタン(いわゆる合成天然ガス)に変えて既存のLNGインフラで運ぶ方法​、あるいは水素を金属に吸収させて固体の金属化合物として運ぶ方法(水素吸蔵合金)​なども研究されています。それぞれ長所短所がありますが、用途や地域の条件に応じて最適な形で水素を運べるよう、技術開発が進められているのです​。

現在の課題と今後の展望

水素の運び方

水素の運搬方法には以上のような種類があり、それぞれメリット・デメリットがあることがわかりました。では最後に、これら水素輸送に関する現在の課題と今後の展望についてまとめます。

まず課題としては、コストと効率の問題があります。高圧ガス方式ではタンク材料や圧縮設備にコストがかかり、水素1kgあたりの輸送コストを下げるには改良が必要です​。液化水素では先述のように液化プロセスでエネルギー消費が大きく、この効率を改善しないと大量利用時に経済的なハードルとなります​。水素キャリアでは化学反応の工程にかかるエネルギーや触媒費用などが課題です。また、安全面でも、高圧ガスの取り扱いや液体水素の極低温設備、アンモニアの有毒性などそれぞれ対策すべき点があります。インフラ整備も大きな課題で、例えば大量の水素を輸送・貯蔵するには専用の設備投資(パイプライン網や貯蔵タンク、運搬船の建造など)が必要です。こうした初期投資をどう実現していくかも、水素社会の実現に向けたチャレンジと言えます。

明るい展望としては、世界中で技術革新と実証事業が進んでいることが挙げられます。各国の研究機関や企業が新しい材料や技術の開発に取り組んでおり、例えば水素脆化しにくい安価なタンク材や、液化効率を高める新しい冷却技術、水素キャリアからの水素抽出を省エネで行う新しい触媒などが研究されています​​。実際に、大規模な実証プロジェクトも動き出しています。前述の液体水素運搬船「すいそふろんてぃあ」による国際輸送成功はその一例で、これによって世界初の水素サプライチェーンの構築に向けた一歩が記されました​。日本ではアンモニアを火力発電所で燃やす試験や、大型タンカーでのアンモニア輸送プロジェクトも進行中です。海外でも欧州を中心に水素パイプライン網の計画や、有機ハイドライドを使った水素輸送の試みが報告されています。特にアンモニアは社会実装に近いとも言われており、すでに世界各地でサプライチェーン構築が始まっています​。将来的には、供給地で作られたグリーン水素(再エネ由来の水素)がこれらの方法で世界中に運ばれ、必要な場所で利用されるエネルギーネットワークが形成されることが期待されています。

まとめると、水素の運搬には「圧縮ガス」「液化」「水素キャリア」といった方法があり、使い分けや組み合わせによって距離や用途に応じた輸送が可能です。それぞれに長所短所がありますが、技術開発と工夫次第でこれらの課題は乗り越えられつつあります​。水素エネルギーの利活用が拡大すれば、私たちの身近にも水素を積んだトラックやアンモニアのタンクが当たり前に行き交う日が来るかもしれません。今後の技術革新とインフラ整備により、水素の運搬はますます効率的かつ安全になっていくでしょう。水素社会の実現に向けて、これら運搬技術の進歩にぜひ注目してみてください。